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Gallery / Sachiko Morita Exhibition [ Nourrir ] – interview

MAR 3, 2o26

Sachiko Morita interview
「消えていくものを、紙の上に。」

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彼女の作品との出会いは、ずいぶん昔にさかのぼる。
まだ私が20代の頃。
パリの街角のビルの壁に大きく貼られた、
ワンストラップの使い古された靴の写真を紹介するネット記事を見つけた。
その静かな強さに、なぜか心が止まった。

長い時間を経て、2018年。
アンジェを訪れ、はじめて作品を直接手にした。
画面で見ていた印象とはまったく違う、紙の質感と、そこに宿る気配。
その体験が、2024年 le gris gallery での展示へとつながり、そして今年、atelier quigui で再び紹介できることになった。

Interview & Edit : Hiromi Noda



Le grisで展示させていただいた、あの時の靴の作品「Sachiko Morita」


フランスへ渡ったきっかけを改めて尋ねると、彼女は少し笑ってこう答えた。

「簡単に言えば、美術学校への留学。でもその前に1年、語学学校に通っていました。」

高校時代、京都の銅駝美術工芸高校に在学中、
ロンドンの美術大学の学生作品展を見たことが原点だったという。
家具のような作品も並ぶ自由な展示に衝撃を受け、「ここに行きたい」と思った。

当時はイギリス留学を夢見ていたが、やがて東京・武蔵野美術大学へ進学。
立体表現を学びながらも、海外への憧れは消えなかった。

「やっぱり海外に対する憧れはずっとあった。不思議だけど。」

在学中にはフランス、イタリア、スペイン、ギリシャを巡る。
フランスで出会ったある人物との出来事が、決定的な転機になった。

「ジャン・コクトーが好きだったんです。
その友人だという人に偶然出会って。でも、彼の言葉がまったく理解できなくて。
“もっとフランス語を理解できるようになりたい”って、強く思いました。」

1998年、自ら願書を書き、部屋を探し、すべてを自分の力で整えて渡仏。
当時は今のような情報もサポート機関もほとんどなかった。

「振り返ると、すごかったなと思うけど、その時は必死でした。」

語学学校を経てナントの美術学校へ。
武蔵美での学びが評価され、3年生からの編入となった。
論文よりも作品発表を重視する環境で、制作と向き合う日々が始まる。

卒業後はパリへ。
奨学金を得てアトリエを構え、その後もアルバイトを掛け持ちしながら制作を続けた。

「生活のために働きながら、でもやっぱりここにいたいと思った。」

ビザの更新、膨大な書類、慣れない土地での生活。
それでも、フランスで生きることを選び続けた。

2009年、現在のアンジェへ拠点を移す。
制作と生活の場所が重なり、少しずつ地に足がついていった。

フランスに渡るという選択は、華やかな決断というよりも、
静かで、頑固な持続の積み重ねだったのかもしれない。
その時間は、やがて彼女の“本質”を形づくっていく。



学生時代を過ごしたというナントのパッサージュポムレー


世界遺産に登録されているアンジェ城


2024年のLe grisでの展示タイトルに選んだのは「quiddité(キディテ)」という言葉だった。

フランス語で「本質」を意味するが、日常的に使われる言葉ではない。
だからこそ、その少し距離のある響きが、彼女の作品にしっくりきたという。

「本質という言葉の類義語を探している時にquidditéという言葉を発見して、
意味を見たらまさにこれだと思ったのです。
自分の作品に対して言語化できていない想いまでそこに書かれてあるように感じました。」

その感覚は、彼女の制作姿勢そのものと重なっている。

「写真家の方々は、カメラそのものに深く向き合う方が多いですよね。
でも私は、撮ったあとの手作業での工程にいちばん心が動くんです。」



古い引き伸ばし機


Sachikoさんのアトリエの風景


光を通し、薬剤を塗布し、紙に焼き付ける。
デジタルでは置き換えられない“手の記憶”が、一点もののように作品に残る。
そしてその一枚の紙 ーー「作品」と向き合い、
じっくりと時間をかけて対話するように制作しているのだそう。



アンジェで初めて購入したカンパーニュの作品。サインしてくれているところ。


「ただ写す以上のものが、そこにあると思っていて。
なぜ私はこれを撮りたいのか——それを確かめるために、作っているのかもしれません。」

作為のない造形の美しさ。
たとえば、花が枯れていく時間。
手を加えることのできない自然のかたちに、彼女はたびたびカメラを向ける。
そこにあるのは、支配ではなく、静かなオマージュだ。

作ることは、自分を知ること。
世界と自分の関係を、そっと確かめる作業。
「よくも悪くも、私のパーソナリティがそのまま写るんです。 だからこそ、心が動いた瞬間しか撮れない。」
最近は、“無理をしない”ことも大切にしているという。

「自己肯定より、自己受容。
いいところだけじゃなくて、ダメなところもOKにすること。」

自分を削らず、心が動く場所だけを選ぶ。
その静かな強さこそが、彼女の“本質”なのだと思う。

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Sachikoさんが深い共感を寄せている写真家に、Charles Jones がいる。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、彼は自ら育てた野菜を、農業の記録として撮影し続けた。
その写真群は死後に再発見され、アートとして評価されるようになった。

『見せるための作品』というよりも、
ただ目の前にある生命をまっすぐに残そうとする行為。
野菜たちへの純粋なまなざし。

Sachikoさんは、その姿勢に強いシンパシーを感じているという。

自分の庭や友人の畑で育った野菜や花。
消えてしまう生き物たちへのオマージュとして、
どれだけ美しく紙の上に残せるか。

それは特別な行為というよりも、
自分のどこかから自然に湧き上がる「残しておきたい」という気持ちに近い。

偶然にも、ニューヨークの同じギャラリーで、別室展示というかたちで紹介されたこともあった。
時代を超えて響き合うような、不思議な縁である。

Sachiko Morita — Victoria Munroe Fine Art
Charles Jones — Victoria Munroe Fine Art

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目の前の花や野菜に向けられた、まっすぐで誠実なまなざし。
その積み重ねが、時代を超えて誰かの心に届く。
作品とは何かを、静かに問いかける時間だった。


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Sachiko Morita Exhibition
Nourrir
2026.3.13(fri) – 15(sun),3.20(fri) – 22(sun)
11:00 – 18:00
@atelier quigui fukuoka


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